GOTO-なんちゃらがたくさん始まって、せっかくの制度なので、しっかりと利用させてもらおうと、GOTO-トラベルを利用して、以前から行ってみたかった、パワースポットと有名な、上総一ノ宮 玉前神社にお参りしてきました。
読み方は「たままえじんじゃ」ではなく「たまさきじんじゃ」なんです。
千葉県長生郡一之宮にある神社で、春分と秋分時には、東の海から上った朝日が真東を向いて建てられた鳥居を照らします。
レイライン(ご来光の道)
春分と秋分の日の鳥居を照らす日の出は、玉前神社の延長線上にある、富士山山頂などを通り、出雲大社を貫く「レイライン(ご来光の道)」と呼ばれています。
・千葉県 玉前神社
・神奈川県 寒川神社
・富士山
・山梨県 七面山
・滋賀県 竹生島
・京都府 元伊勢
・鳥取県 大山
・島根県 出雲大社
レイラインの線上にある場所では、時期に合わせてイベントなどが数多く催されています。
玉前神社の御祭神
玉依姫命(たまよりひめのみこと)です。
縁結び・子授・出産・養育・月の物んどの女性の心身に関係することから「縁結びの神様」といわれています。
玉依姫命は波とともに九十九里浜に上陸したという伝説があります。
珠琴泉(しゅきんせん)
本殿に行く前に、なにやら石を重ねた不思議なものがありました。
実際に音を聞くことが出来なかったのですが、水琴窟のようです。
このように説明がありました。
珠琴泉(しゅきんせん)
水琴窟(すいきんくつ)を『玉前神社・珠琴泉』と名付けました。
地中に受けた瓶(かめ)に、水が滴り落ちる際に音を発し、まるで琴のように、澄んだ美しい音色を奏でてくれます。
玉前神社んぼご利益である『出会い・縁結び』を表現するため、通常一つである瓶を二つ埋めることで、異なる音色の重なりが生まれました。・全体の8つの石は【八方陰】
・中央の平らな【縁結石】
・左手2つは【夫婦石】その間に【子宝石】
・右手の【舟石】は大会へ向かう勇気を表しております
『縁結石に腰かけて、その音色をご自身でお確かめください』
座ってみてよかったんだろうか・・・
なんだか近寄りがたい感じがしました。
手水舎
コロナの関係で、こちらの神社も手水舎は使用できなくなっていました。
心なしか、乾いてしまった龍が寂しそうです。
その代わりに、お水が流れるように作られた手洗いが作られていました。
何だか昭和な少女漫画チックな説明が微笑ましいです。
社殿
神社といえば、朱塗りの社殿が多いですが、黒漆塗りの権現造りという珍しい社殿です。
貞享4(1687)年に造営され、建築様式は大唐破風・流れ入母屋権現造りで、銅板葺きです。
千葉県指定文化財です。
とても手入れがされていて、黒々として、彫刻などがとても映えていました。
ちょうど、お宮参りや七五三のお参りの家族がいて、ご祈祷が行われていました。
上総神楽(かずさかぐら)
神楽殿もありました。
300年の歴史があり、県の指定文化財という事です。
頂いた御朱印
伺ったときは、新型コロナの影響で、持参した御朱印帳へ書いていただくのではなく、書置きを頂くようになっていました。
御朱印帳を購入の場合は、希望すれば手書きで書いていただけるとのことだったので、オレンジの朝日の模様の御朱印帳を頂きました。
御神木
玉前神社の御神木はちょっと変わっていて、「いす」です。
なんじゃもんじゃの木ともいわれる木で、「ひょんのき」「蚊母樹」とも言われるそうです。
常緑で花も実もつけるそうです。
はだしの道
本殿横には、「はだしの道」がありました。
こちらは、はだしになって、白い石の願い事をしながら左回で、という場所です。
・1周廻りで無垢となり
・2週廻りで気を入れて
・3周廻りて気を満たり
この日は雨だったので、さすがに裸足になれませんでした。
またも、ぼんやりしていて予習不足で、色々と見忘れている場所がありましたが、ずっと行ってみたかった玉前神社を楽しめました。
GOTO-トラベルは何度も利用することが出来るようなので、またどこか訪ねてみたいです。
玉前神社詳細
住所
千葉県長生郡一宮町一宮3048番
電話
0475-42-2711
ご祭神
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
各種御祈祷
縁結び・恋愛成就・結婚成就・子授け
安産(腹帯祝)・初宮詣・初節句祭・七五三詣・十三詣・結婚式・合格祈願(受験・資格)
家内安全・心願成就・事業繁栄・商売繁盛・交通安全・工事安全・厄除け・八方除け
玉前神社公式ホームページ
玉前神社について
一宮町は房総半島九十九里浜の最南端に位置し、一年を通して寒暑の差が少なく温暖な気候に恵まれた土地で、縄文弥生の頃から人々の営みがあったことが遺跡や貝塚などによって明らかにされています。
歴史の古いこの一宮町の名称の由来となった玉前神社は上総国にまつられる古社であり、平安時代にまとめられた『※1延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』では名神大社(みょうじんたいしゃ)としてその名を列せられ、全国でも重きをおくべき神社として古くから朝廷・豪族・幕府の信仰を集め、※2上総国一之宮(かずさのくにいちのみや)の格式を保ってまいりました。
しかしながら永禄年間の大きな戦火にかかり、社殿・宝物・文書の多くを焼失しており、ご創建の由来や年数また名称についてなど明らかにされていませんが、毎年九月十日から十三日に行われるご例祭には少なくとも千二百年の歴史があり、移りゆく時代に少しずつその形を変えながらも、古代からの深い意義を連綿と守り伝えてきたことを何よりの宝物として、この郷の人々と共に大切にしています。
「上総の裸まつり」「十二社まつり」と称されるこのお祭りは房総半島に多く見られる浜降り神事の代表として広く知られ、壮大な儀礼をひと目見ようと、関東一円から大勢の人々が集います。